路上の記録集

散歩ライターの谷頭和希(たにがしら かずき)が日々フィールドワークした場所や感じたことについて記録するブログです。記事の宣伝も。

4月7日_池袋のスタバ圏について_持っている飲み物調べ

池袋に行った。 なにか目的があったわけではない。ただちょっと時間があったから、ふらりと訪ねてみただけだ。とはいえ、池袋はまったく知らぬ街ではない。むしろ、なじみの街だ。家から近いということがあってよく行くのだ。 それでもって時間があるから今…

4月6日_早稲田_カフェ巡り_Macユーザー調査

土曜なのに、早稲田にいる。授業があるからだ。その前に少し時間があったのでかねてより気になっていた調査の口火を何となく切ってみる。その調査とは、 「スタバには、Mac使用者が本当に多いのか?」 ということだ。 よく言われることだが、これは本当なの…

書いた記事の告知(3月15日更新)

こんにちは。谷頭和希です。 これは最近ぼくが集めている「隈取り警告ポスター」です。よく見かけますよね、これ。 本題に入ります。 昨日、ぼくが書いたまた新しい記事が公開されましたので、告知します。 ジモトぶらぶら散歩マガジン「サンポー」さんにて…

千葉の高倉健

目次(あまり意味はない)↓↓ 出会い 孤独であること 純粋であること 不器用であること 高倉健 偏在する高倉健 高倉健がいなくなった街 高倉健を探しに行こう 出会い 用があって千葉駅の周辺を歩いていたときのこと。 ぼくの方に飛行機が突っ込んできた。 あ…

今までの執筆記事を宣伝する(2019年1月~2月)&お知らせ

こんにちは。谷頭和希です。 去年からいろいろなウェブメディアに寄稿させてもらえることになり、うれしい限りです。 これからは1か月に一回程度、その月に発表された僕の記事をここにまとめていこうと思います。 ジャンルもテンションも全然違う記事ですが…

立山から地獄と浄土を考える(4)

前回は日本人にとっての地獄と浄土が中国のそれに比べると非常に近しい位置にあるイメージで認識されているのではないか、ということを考えてきた。このような地獄と浄土の近さについて人々がどのようにとらえていたのかを確認することの出来る格好の資料が…

ディスカウントストア:ドン.キホーテ論~あるいはドンペンという「不必要な装飾」についての考察日記(3)

ドンペンについて考えていくと、ドンペンが担っているかもしれない象徴性に辿り着いた。しかしドンペンがドンキと言う企業のキャラクターである以上、それがドンキという企業に負っている実際の役割もあるはずだ。だから次にドンペンくんそのものが置かれて…

立山から地獄と浄土を考えてみる(3)

前回は立山から地獄について考えてみた。では、一方で浄土についてはどうだろうか?場所としての浄土であるならば浄土寺と名の付く寺が数多く存在し、浄土を模した寺は数多く作られていた。しかし火山によって成立した地形をもってして「地獄」と名付けられ…

鶯谷万博開催にあたって

大阪に万博がやってくるらしい。 いろいろと反対意見はあるみたいだが、万博と言えば、僕がずっと気になっていたことがある。 それは、 鶯谷で万国博覧会が開けるのではないか? というくだらない疑問である。 鶯谷といえば、日本でも有数のラブホテル街。す…

立山から地獄と浄土を考える(2)

前回は立山から地獄と浄土を捉えなおす、ということで実在する場所(=立山)に地獄・浄土という目に見えないものを重ね合わせることの特異性について考えたわけであるが、今回はそれをより深く考えてみよう。 そもそも古の日本人はこうした立山の自然のどこ…

ディスカウントストア:ドン.キホーテ論~あるいはドンペンという「不必要な装飾」についての考察日記(2)

さて、前回、ドン.キホーテかくして僕たちはこのペンギンの謎について考えなければいけなくなった。 ドンペンとは建築における装飾のことである。ここであまりにも粗削りであることを承知の上で、レヴィ=ストロースの議論を持ち出してみたい。装飾について…

立山から地獄と浄土を考えてみる(1)

東西問わず地獄と浄土、あるいは天国のような「他界」はリアルな場所として存在していない。例えば阿弥陀仏の西方浄土は「この世界から西方に向かって十万憶の仏土をすぎたところ」[1]に存在しており、到底現実世界の人間が目にすることのできる場所ではない…

ディスカウントストア:ドン.キホーテ論~あるいはドンペンという「不必要な装飾」についての考察日記(1)

ドンペン。 この名前に聞き覚えはあるだろうか。いや、名前だけでは分からないかもしれない。でもその姿はきっとだれもが一度は見たことがあるはずだ。 それはディスカウントストア「ドン.キホーテ」(以後、ドンキ)のメインキャラクターである。多くの場合…